タヌーフ族遠征
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/10 06:06 UTC 版)
クラウディウス・ゴティクス帝の治下の270年、ザブダスはゼノビアやセプティミウス・ザッバイの支援の下、アラブ人のタヌーフ族討伐に向かった。 パルミラが独自にアラビアで軍事行動を展開していたのは、ローマ帝国中央の東方に対する統制力が弱まっており、隊商都市であるパルミラの貿易が脅かされていたためである。ゼノビアはおそらく、東方の安定を維持するためにはこの地域を直接支配するしかないと考えるようになっていた。またパルミラは、ボストラやエジプトと経済的な競争関係にあった。 ともかく、ゼノビアの軍事行動は、パルミラ支配に対するタヌーフ族の反抗がきっかけになったと考えられている。 ローマ帝国がトラキアの山中でゴート族との戦いに追われている中、パルミラは遠征を意図的に長引かせ、南進してボストラに向かった。 ローマ帝国のアラビア属州総督トラッススは、第3軍団キュレナイカを率いてパルミラ軍に応戦したが、惨敗して戦死した。パルミラ軍は降伏してきたボストラを占領、略奪し、第3軍団が崇めていたゼウス・ハンモン神殿を破壊した。
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