セルギエフ・ポサードの発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 20:40 UTC 版)
「至聖三者聖セルギイ大修道院」の記事における「セルギエフ・ポサードの発展」の解説
1559年イヴァン雷帝の命により、26年の歳月をかけて、六支柱式の生神女就寝大聖堂(ウスペンスキー聖堂)が建設された。生神女就寝大聖堂は、モスクワのクレムリンにある同名の聖堂を模して、ほぼ同じ形状と大きさで造られている。荘厳なイコノスタスは、16世紀から18世紀にかけて作られたもので、シモン・ウシャコフ(Simon Ushakov)の最高傑作である、機密制定の晩餐のイコン(画像)がある。1684年内陣の壁面には、ヤロスラヴリの職人たちによる、紫と青を基調としたフレスコ画がある。地下納骨所には、ボリス・ゴドゥノフとその家族、20世紀の何人かのモスクワ総主教らが眠っている。 修道院は寄進によってロシアで最も裕福な地主の一つに成長していった。修道院の建物も増築され修道院を周囲から隔絶していた森も伐採されていった。修道院の周囲には門前町が形成され、現在のセルギエフ・ポサードとなる。修道院自体は、ロシア史の記録とイコンの貴重な中心となっていった。1547年修道院の壁のちょうど反対側に聖パラスケワ教会が建設され、聖パラスケワ女子修道院が創設された。現在のヴヴェーデンスカヤ教会である。
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