セゲスタからの救援依頼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/04 04:52 UTC 版)
「シケリア遠征」の記事における「セゲスタからの救援依頼」の解説
ゲラ会議で実現した平和は長く続かなかった。会議からしばらくの後、シュラクサイはレオンティノイにおける民主派と寡頭派の対立に介入し、寡頭派を支持した。やがて外部勢力による支配の可能性がレオンティノイ市民を団結させ、両派も合同してシュラクサイに対する戦争が始まった。アテナイは紀元前422年にシケリアに使節を送り、シュラクサイとの戦争の可能性を探ったが、得るものは無かった。紀元前418年には、しかしながら、再びシケリアで紛争が生じ、アテナイが紀元前422年に探った機会が現実のものとなった。紀元前420年代にアテナイと同盟していたセゲスタが、セリヌス(現在のマリネラ・ディ・セリヌンテ)から攻撃され、緒戦に敗北してアテナイに救援を求めてきた。アテナイからの支援を勝ち取るため、セゲスタ市民はアテナイ艦隊の費用を負担するに十分な資産を有していると訴え、まずは60タレント分の銀塊を提供し、さらにアテナイ使節に対しては彼らが有する全ての金や高額な品物をあちこちで繰り返し見せることにより、実際より裕福に見えるように欺いた。
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