セウェルス朝期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 17:27 UTC 版)
セウェルス朝を創始したセプティミウス・セウェルスのもとでもパルティア戦役に従軍、しかし目立った功績はなかった。しかしセウェルスの息子カラカラを殺して帝位に就いたマクリヌスの治世では第3軍団はローマ軍の中心的な存在として君臨する。しかしカラカラの叔母ユリア・マエサが軍団のいるシリアに流罪となると、現地に駐在していた第3軍団を買収、軍団は彼女の曾孫エラガバルスを擁立、続くエラガバルスの治世初期まで第3軍団はローマ軍の中では精鋭となる。しかしエラガバルスから軍団は離反し元老院議員ウェルスを擁立するが失敗、ウェルスはエラガバルスによって処刑される。そして第3軍団ガッリカは廃止、軍団兵は第3軍団アウグスタへと編入され、属州アフリカへ駐在となった。しかし次の皇帝アレクサンデル・セウェルスの治世において第3軍団ガッリカは復活、再びシリアでの勤務となった。
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