スコットランドからニューヨークそしてクリーブランドへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/12/25 23:51 UTC 版)
「アレグザンダー・ウィントン」の記事における「スコットランドからニューヨークそしてクリーブランドへ」の解説
アレグザンダー・ウィントンはスコットランドで生まれ、1878年に18歳で米国に移住した。ニューヨークで蒸気船の技術者として働くが興味がもてず、22歳で父と姉妹が居を構えていたオハイオ州クリーブランドに移り、クリーブランド鉄工所で監督の職を見つける。 19世紀末の当時はまだ馬車が旅の足だった。そこに自転車が登場し、またたく間に普及していった。自転車はとても値の張る乗り物だったが、裕福な人々にとっては便利で自由な乗り物だったのである。そこに事業機会を見つけたウィントンは義弟と『ウィントン自転車会社』をはじめる。 事業は順調だったが、1890年頃には、自力で走る車両、つまり馬がいなくとも走れる車に興味を持つようになる。『サイエンティフィック・アメリカン誌』や『ホースレス・エイジ(馬のいらない時代)誌』をはじめとして、関連する情報は手当たり次第に読みあさり、自分の設計を練り上げていった。
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