ジョストとトーナメント
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/23 07:58 UTC 版)
「馬上槍試合」の記事における「ジョストとトーナメント」の解説
前述したようにジョストは早くからトーナメントの一部であった。主要競技であるトゥルネイ(団体戦)の前日の夕方に前夜祭として行われると共に、トゥルネイの前座としても行われた。12世紀ごろにはトーナメントにおけるジョストはしばしば禁止された。禁止の理由はジョストを行うことで騎士がメインのトゥルネイに参加しなかったり、不正行為に利用されることがあったからである。1160年代のトーナメントでフランドル伯フィリップは、彼の随員とともに前座のジョストを行い、他の騎士が疲労して捕獲しやすくなるまでトゥルネイには参加しなかった。 13世紀の初頭までにジョストは人気を獲得しており、1220年代からはトーナメントとは別に開催されるようになった。『ウィリアム・マーシャルの生涯』では、1224年頃にジョストがトゥルネイよりも貴族に人気があったことが記述されている。1223年にキプロスでベイルート卿ジャン・ディブランが開催した、初めてジョストだけの「円卓の催し」が記録されている。これは参加者がアーサー王伝説の騎士に扮して円卓に集まり、ジョストの対戦相手を決めるものである。「円卓の催し」は13世紀に人気があり、ジョスト競技会の予選としても行われ、騎士も従者も参加した。その他の形式のジョスト競技会も同時期に始まり、14世紀までにはジョストはトーナメントが廃れるのに伴う貴族の娯楽を埋めるものとなった。
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