ジョカン寺での虐殺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 10:16 UTC 版)
「チベットの歴史」の記事における「ジョカン寺での虐殺」の解説
同1987年9月27日、ジョカン寺で数十人の僧侶がチベットの旗を掲げてラサ市内をデモ行進しチベット独立と、中国人の本土への帰還を訴えた。中華人民共和国の建国記念日である10月1日、再び僧侶がジョカン寺の周囲を行進すると、中国武装警察がデモ参加者を連行した。怒ったチベット人民衆数千人が警察署に投石を行う。武装警察との睨み合いがしばらく続いた後、武装警察は発砲し、無差別殺戮を始めた。ジョカン寺周辺は大混乱となり、多くの死体が横たわり、外国人観光客はチベット人からこの現実を撮影し、全世界に広めてほしいと懇願された。少なくとも数十人が虐殺された。 10月6日にはラサ市内で再びチベット人60人がデモ行進を行った。警察は参加者全員を棍棒で投打し、逮捕した。 欧州議会は1987年10月14日に中国によるチベット人の人権抑圧非難決議を決定する。西ドイツは1987年10月15日に同様の非難決議採択。
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