ジャーメイン・ジョーンズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/18 14:50 UTC 版)
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アメリカ合衆国代表でのジョーンズ (2013年)
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名前 | ||||||
本名 | Jermaine Junior Jones | |||||
ラテン文字 | Jermaine Jones | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ![]() ![]() |
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生年月日 | 1981年11月3日(43歳) | |||||
出身地 | ![]() |
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身長 | 184cm | |||||
体重 | 80kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1988-1994 | ![]() |
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1994-1995 | ![]() |
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1995-1999 | ![]() |
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クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1999-2004 | ![]() |
31 | (9) | |||
1999-2004 | ![]() |
46 | (7) | |||
2004-2005 | ![]() |
15 | (5) | |||
2004-2005 | ![]() |
5 | (0) | |||
2005 | →![]() |
14 | (3) | |||
2005-2007 | ![]() |
24 | (2) | |||
2007-2014 | ![]() |
129 | (7) | |||
2011 | →![]() |
15 | (0) | |||
2014 | ![]() |
10 | (0) | |||
2014-2015 | ![]() |
28 | (2) | |||
2016 | ![]() |
9 | (3) | |||
2017 | ![]() |
20 | (1) | |||
2018 | ![]() |
1 | (0) | |||
2019-2020 | ![]() |
5 | (10) | |||
代表歴 | ||||||
2001-2003 | ![]() |
8 | (3) | |||
2004 | ![]() |
1 | (0) | |||
2008 | ![]() |
3 | (0) | |||
2010-2017 | ![]() |
69 | (4) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ジャーメイン・ジョーンズ(Jermaine Junior Jones、1981年11月3日 - )は、西ドイツ・フランクフルト・アム・マイン出身の元サッカー選手。元アメリカ合衆国代表。現役時代のポジションはMF。父はアフリカ系アメリカ人の元アメリカ軍人、母はドイツ人のハーフ。
2008年からドイツ代表に選出され、2010年からはアメリカ合衆国代表でプレーした。
来歴
クラブ
デビュー当初はフォワードとしてプレーしていた。2004年には強豪バイエル・レバークーゼンへ移籍するも、挫折を味わい、わずか1年でレバークーゼンを後にする。フランクフルト復帰後にフォワードからボランチへとコンバートしたことが転機となり、ドイツ代表にも選出された。
2007-08シーズンからはシャルケ04に移籍。2010-11シーズンは出場機会に恵まれず、2010年11月にはシャルケの監督フェリックス・マガトを批判したことからチームからも隔離された。結局、2011年1月18日に、ブラックバーン・ローヴァーズFCへシーズン終了までの期間で期限付き移籍した。
2014年1月30日、トルコ・スュペル・リグのベシクタシュJKに完全移籍[1]。
2014年8月24日、ニューイングランド・レボリューションに加入した[2]。
2016年3月4日、コロラド・ラピッズに移籍した。
2016年12月13日、ロサンゼルス・ギャラクシーに移籍した。
2018年9月7日、現役引退を表明した[3]。
2019年3月13日、アメリカ・プロインドアサッカーリーグのメジャー・アリーナ・サッカーリーグに所属しているオンタリオ・フューリーと契約を結んだ[4]。
代表
2008年2月6日、オーストリア代表戦の82分にトーマス・ヒッツルスペルガーとの交代でピッチに立ち、ドイツ代表デビューを果たした。なおこの試合で、同じシャルケ所属のハイコ・ヴェスターマンも代表デビューしている。同年5月16日、UEFA EURO 2008の代表候補26名に選ばれた (本大会メンバーからは落選)[5]。
UEFA EURO 2008以降ドイツ代表での出場機会が失われたことから、改正されたFIFAの新たな規則を利用。ジョーンズは父親がアメリカ人であり、またA代表での出場経験があるものの全て親善試合であり、FIFA、UEFA主催の試合に出場した経験がなかったため、アメリカ代表でのプレーも可能であった。2009年6月にアメリカ代表への「移籍」を希望し、ドイツサッカー連盟に受け入れられた。同年10月にFIFAにも正式に受け入れられたが、負傷により招集は見送られ、2010 FIFAワールドカップに出場することもできなかった。
ワールドカップ後の2010年8月4日にブラジルとの親善試合に向け初招集を受けるも、またも負傷し出場を逃す。2010年10月9日のポーランド戦でようやくアメリカ代表デビューを果たすと、ジョジー・アルティドールの先制点をアシストした。2011 CONCACAFゴールドカップのメンバーにも選出された。
2011年6月19日のCONCACAFゴールドカップ、ジャマイカ戦で代表初得点を記録。
2014年6月22日の2014 FIFAワールドカップ、ポルトガル戦では同点ゴールとなるミドルシュートを決めた。
代表歴
出場大会
試合数
ドイツ代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
2008 | 3 | 0 |
通算 | 3 | 0 |
アメリカ代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
2010 | 2 | 0 |
2011 | 12 | 1 |
2012 | 12 | 1 |
2013 | 12 | 0 |
2014 | 10 | 1 |
2015 | 8 | 0 |
2016 | 11 | 1 |
2017 | 2 | 0 |
通算 | 69 | 4 |
脚注
- ^ Goal (2014年1月31日). “シャルケ、ジョーンズのトルコ移籍が正式決定”. 2014年1月31日閲覧。
- ^ Goal (2014年8月25日). “アメリカ代表ジョーンズがMLSへ”. 2014年8月25日閲覧。
- ^ 超WORLDサッカー! (2018年9月8日). “元アメリカ代表MFジャーメイン・ジョーンズが現役引退”. 2021年2月19日閲覧。
- ^ "Ontario Fury Signs Former U.S. International Jermaine Jones" (Press release). オンタリオ・フューリー. 13 March 2019. 2021年2月19日閲覧。
- ^ euro2008.uefa.com (2008年5月16日). “ドイツがEURO代表候補発表”. 2009年2月17日閲覧。
- ^ a b ジャーメイン・ジョーンズ - National-Football-Teams.com
外部リンク
- 公式ウェブサイト
- ジャーメイン・ジョーンズ - National-Football-Teams.com
- ジャーメイン・ジョーンズ - Soccerway.com
- ジャーメイン・ジョーンズ - Soccerbase.comによる選手データ
- ジャーメイン・ジョーンズ - FootballDatabase.eu
- ジャーメイン・ジョーンズ - WorldFootball.net
- ジャーメイン・ジョーンズ - Transfermarkt.comによる選手データ
- ジャーメイン・ジョーンズ - Transfermarkt.comによる指導者データ
- ジャーメイン・ジョーンズ - FIFA主催大会成績
- ジャーメイン・ジョーンズ - トルコサッカー連盟 (player)
- ジャーメイン・ジョーンズ - メジャーリーグサッカー
- Jermaine Jones - fussballdaten.de
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固有名詞の分類
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