ジャイアンツ復帰・引退(1977年 - 1980年)
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「ウィリー・マッコビー」の記事における「ジャイアンツ復帰・引退(1977年 - 1980年)」の解説
1977年に古巣ジャイアンツに復帰。前年の1976年シーズンでアーロンとフランク・ロビンソンの2人が現役を引退したため、このシーズン当初、マッコビーはMLBで通算本塁打数が最多(465本塁打)になっていた。この年の6月27日の対シンシナティ・レッズ戦にて、マッコビーは1イニング2本塁打を放つが、このうち1本が17本目の満塁本塁打でナショナルリーグにおいて単独1位となった。この年、マッコビーは39歳となっていたが、28本塁打、86打点を記録し、スポーティング・ニュース・カムバック賞を受賞した。 翌1978年6月30日のアトランタ・ブレーブス戦にて500号本塁打を達成。1980年5月3日のモントリオール・エクスポズ戦にて521号本塁打を放ち、これがマッコビー最後の本塁打となったが、テッド・ウィリアムズの通算本塁打数と並んだ。同年7月6日の試合を最後に現役を引退した。 引退当時、マッコビーは4ディケイド(50、60、70、80年代)でプレイした唯一の選手となり、また前述にもある通り通算満塁本塁打は引退までに18本放っており、2018年現在でもナショナルリーグの最多記録で、通算ではアレックス・ロドリゲス(25本)、ルー・ゲーリッグ(23本)、マニー・ラミレス(21本)、エディ・マレー(19本)に次ぐ第5位。なお、引退当時はゲーリッグに次ぐ歴代第2位であった。
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