ジム・テータム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/13 17:56 UTC 版)
基本情報 | |
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国籍 |
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出身地 | カリフォルニア州サンディエゴ |
生年月日 | 1967年10月9日(57歳) |
身長 体重 |
6' 2" =約188 cm 220 lb =約99.8 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 一塁手、三塁手、外野手、捕手 |
プロ入り | 1985年 MLBドラフト3巡目(全体76位)でサンディエゴ・パドレスから指名 |
初出場 |
MLB / 1992年9月18日 NPB / 1997年7月4日 |
最終出場 |
MLB / 1998年6月11日 NPB / 1997年10月23日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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ジェームズ・レイ・テータム(James Ray "Jim" Tatum , 1967年10月9日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴ出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。
経歴
1985年のMLBドラフト3巡目(全体76位)でサンディエゴ・パドレスから指名され、プロ入り。1992年にミルウォーキー・ブルワーズでメジャー初昇格。
1993年に新創設のコロラド・ロッキーズに移籍。同年5月4日の対シカゴ・カブス戦で、ダン・プリーサックからロッキーズ球団創設初となる満塁本塁打を放った。
1996年はボストン・レッドソックス、パドレスと移籍を繰り返し、1997年6月にパドレス傘下(当時)のAAA級ラスベガス・スターズを経てヤクルトスワローズに入団し、来日。小早川毅彦と一塁手のポジション争いを演じながら、主に左投手が先発のときに先発で出場し、51試合で打率.309、13本塁打と結果を残してリーグ優勝に貢献した。もっとも、13本塁打のうち11本が、スタメンを外されることの多い右投手相手だった。
同年の西武ライオンズとの日本シリーズ第1戦(西武球場)でも、8回表に西武先発の西口文也から先制ソロ本塁打を放ち、これが決勝点となり1-0で初戦を制したヤクルトが日本一に輝いた。一定の活躍を見せたが、シーズン終了後ライル・ムートンの獲得が決定したことにより同年限りで自由契約となり、帰国した。このシーズンは規定打席未達成ながらOPS1.030を記録していたが、当時はOPSの概念が球界にさえもほとんど浸透していなかったため、この点では全く評価されなかった。
帰国後の1998年にニューヨーク・メッツでメジャー復帰を果たした。同年は4試合で捕手を務め、前年にヤクルトでチームメイトだった吉井理人投手ともバッテリーを組んだ。1999年および2000年はメジャーでの出場は無く、2000年は韓国プロ野球・LGツインズとメキシカンリーグのメキシコシティ・レッドデビルズでプレーし、この年限りで現役引退。
なお、1971年にヤクルトに在籍したジャービス・テータム外野手とは無関係。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1992 | MIL | 5 | 9 | 8 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | .125 | .222 | .125 | .347 |
1993 | COL | 92 | 106 | 98 | 7 | 20 | 5 | 0 | 1 | 28 | 12 | 0 | 0 | 0 | 2 | 5 | 0 | 1 | 27 | 0 | .204 | .245 | .286 | .531 |
1995 | 34 | 35 | 34 | 4 | 8 | 1 | 1 | 0 | 11 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 7 | 1 | .235 | .257 | .324 | .581 | |
1996 | BOS | 2 | 8 | 8 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .125 | .125 | .125 | .250 |
SD | 5 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
'96計 | 7 | 11 | 11 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | .091 | .091 | .091 | .182 | |
1997 | ヤクルト | 51 | 159 | 139 | 27 | 43 | 7 | 0 | 13 | 89 | 25 | 4 | 1 | 0 | 1 | 16 | 3 | 3 | 28 | 2 | .309 | .390 | .640 | 1.030 |
1998 | NYM | 35 | 57 | 50 | 4 | 9 | 1 | 2 | 2 | 20 | 13 | 0 | 0 | 0 | 4 | 3 | 0 | 0 | 19 | 0 | .180 | .211 | .400 | .611 |
2000 | LG | 20 | 84 | 72 | 12 | 21 | 4 | 1 | 4 | 39 | 10 | 0 | 0 | 0 | 0 | 10 | 1 | 2 | 12 | 2 | .292 | .393 | .542 | .935 |
MLB:5年 | 173 | 218 | 201 | 16 | 39 | 7 | 3 | 3 | 61 | 29 | 0 | 0 | 0 | 6 | 10 | 0 | 1 | 58 | 1 | .194 | .229 | .303 | .533 | |
NPB:1年 | 51 | 159 | 139 | 27 | 43 | 7 | 0 | 13 | 89 | 25 | 4 | 1 | 0 | 1 | 16 | 3 | 3 | 28 | 2 | .309 | .390 | .640 | 1.030 | |
KBO:1年 | 20 | 84 | 72 | 12 | 21 | 4 | 1 | 4 | 39 | 10 | 0 | 0 | 0 | 0 | 10 | 1 | 2 | 12 | 2 | .292 | .393 | .542 | .935 |
記録
- NPB
- 初出場・初先発出場:1997年7月4日、対中日ドラゴンズ13回戦(明治神宮野球場)、6番・二塁手として先発出場
- 初安打・初本塁打・初打点:1997年7月6日、対中日ドラゴンズ15回戦(明治神宮野球場)、2回裏に門倉健からソロ
背番号
- 39 (1992年)
- 20 (1993年)
- 19 (1995年、1998年)
- 48 (1996年 - 同年途中)
- 2 (1996年 - 同年終了)
- 49 (1997年)
- 23 (2000年)
関連項目
外部リンク
ジム・テータム(在籍年度2000)
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「LGツインズ」の記事における「ジム・テータム(在籍年度2000)」の解説
元ヤクルトスワローズ。負傷の為1年限りで退団し、そのまま現役引退。
※この「ジム・テータム(在籍年度2000)」の解説は、「LGツインズ」の解説の一部です。
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固有名詞の分類
アメリカ合衆国の野球選手 |
マット・ガーザ ジェイ・ヒューズ ジム・テータム アンディ・トレーシー 亀田敏夫 |
東京ヤクルトスワローズ及びその前身球団の選手 |
吉井理人 曲尾マイケ ジム・テータム 井上親一郎 副島孔太 |
ボストン・レッドソックスの選手 |
タフィ・ローズ ノマー・ガルシアパーラ ジム・テータム ジョニー・ペスキー アル・シモンズ |
ニューヨーク・メッツの選手 |
ジェイソン・イズリングハウゼン リチャード・ヒダルゴ ジム・テータム アンディ・トレーシー ロッド・バラハス |
サンディエゴ・パドレスの選手 |
サム・パラーゾ アンディ・ベネス ジム・テータム ローリー・フィンガーズ グレッグ・マダックス |
ミルウォーキー・ブルワーズの選手 |
ブライアン・バンクス ルイス・ビスカイーノ ジム・テータム ローリー・フィンガーズ ジャック・リンド |
コロラド・ロッキーズの選手 |
コーリー・サリバン 吉井理人 ジム・テータム アンディ・トレーシー リバン・ヘルナンデス |
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