シュヴェーターンバラ派の伝承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/31 14:20 UTC 版)
「バドラバーフ」の記事における「シュヴェーターンバラ派の伝承」の解説
『カルパ・スートラ』によると、バドラバーフのゴートラはプラーチーナ(パーイーナ)であり、スダルマンから数えて6代目の教団長にあたる。ヘーマチャンドラ『パリシシュタパルヴァン』によると、マガダ国で12年の飢饉があったために教団が移動したというが、どこへ移動したかははっきり記されていない。 ジャイナ教の聖典は14のプールヴァ(プッヴァ)と12のアンガから構成されていたが、パータリプトラで聖典の結集を行ったとき、プールヴァが伝承されていないことがわかり、聖典を完全に暗記していたバドラバーフを招聘しようとした。当時ネパールで瞑想を行っていたバドラバーフは招きを断わった。バドラバーフはストゥーラバドラを呼びよせてプールヴァを伝えたが、最後の4つのプールヴァを他人に教えることを禁じた。その後残りの10プールヴァの知識も次第に失われたという。 バドラバーフはラージャグリハ近くのヴァイバールギリ山の洞窟で没した。没年はマハーヴィーラの没年の170年後と伝えられる。したがって、かりにマハーヴィーラが紀元前467年に没したとすると、バドラバーフは紀元前297年に没したことになる。
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