シュルツェ・ゼルデとは? わかりやすく解説

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シュルツェ・ゼルデ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/10 09:44 UTC 版)

ヴァルター・シュルツェ・ゼルデ(ドイツ語 :Walter Schulze Solde, 1888年4月26日 - 1984年7月24日)とは、ドイツ形而上学の立場に立つ哲学者である。

生涯

1888年にドイツのドルトムントで生まれる。フライブルク、ボンミュンスターハイデルベルク法哲学を学ぶ。1913年、法哲学で博士号取得。1916年ハイデルベルクで「カントの光の中でスピノザの方法」と題する論文で大学教授資格を取得。しかし、1917年の秋から1919年までラントシュトゥルムドイツ語版で兵役に就く。1920年グライフスヴァルト大学ドイツ語版で発表された彼の復職論文は、「個人と国家」というテーマを扱っていた。1922年に彼は同大学で倫理美学の教職を得て、非常勤の准教授に任命された。

シュルツェ・ゼルデは1918年以降、漠然と平和主義共和主義の見解を示していたが、1933年以降は国家社会主義の哲学者としての地位を鮮明にした。1935年政治教育の教職に就く。1939年の夏にはインスブルックの議長の代理を任され、12月にはインスブルック大学の哲学と教育の正教授に任命された。

第二次世界大戦の終了後、彼は公職から追放された。シュルツェ・ゼルデの告白的著作には明確な記述があったため、非ナチス化には長い時間がかかった。のち1950年ミュンヘン大学で形而上学の教授になるも、1964年退任。実証主義の攻撃に対して、形而上学を擁護した。主著に『個人と国家』(1922年)がある。1984年に96歳で死去した。

ナチスとの関わり

1933年に彼はナチスに入党し、グライフスヴァルト地区の指導的役割を担った。グライフスヴァルト地区指導部の家系図室長なども務めた。

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