シク・イギリス時代
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「シアールコート」の記事における「シク・イギリス時代」の解説
1797年から1810年にかけて、シク王国のランジート・シングが占領した。シク王国の版図は西はペシャワール、北はカシミール、南はムルターン、東はチベットに及んだ。ヨーロッパ式に訓練した兵士やシクの戒律、ヨーロッパの近代兵器、イギリス製の地図、ヨーロッパ人傭兵がこれ程の侵略を可能にした。 1839年にシング王が亡くなると、イギリスがシアールコートに接触した。 1849年、第2次シク戦争の結果シク王国はイギリスに併合され、シアールコートも併合された。 1852年、シアールコート宿営地が完成した。イギリス司令官のナピエル卿が防衛の観点から場所を決定した。 1857年、インド大反乱ではヨーロッパ人がシアールコート砦に立てこもり激戦を繰り広げた。現地人兵は財宝を略奪し、全ての記録を破壊した。 1877年、後にパキスタン独立運動を先導する詩人のムハンマド・イクバールが誕生した。 1889年、ムッライ大学が設立された。 1890年、ワズィーラーバードからシアールコートに伸びる鉄道がジャンムーまで延長された。 1915年、シアールコート・ナロワル鉄道が開通した。
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