ザディコの歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 10:08 UTC 版)
ザディコは、アカディア人の末裔の白人らによって18世紀から演奏されてきた伝統的なダンス音楽 ケイジャン・ミュージックを基にして、アフリカ人の末裔であるクレオール系黒人らがR&Bやブルースの要素を取り入れて、20世紀に発展させてきた音楽である。1928年、アミディ・アルドワンAmédé Ardoinによって録音された曲が、黒人による最初のザディコレコーディングと言われている。アミディ・アルドワンやキャンレー・フォンティーノは、ザディコの草分けのミュージシャンである。1954年には、ブーズー・チェイヴィズBoozoo Chavisが"Paper in My Shoe"を録音し、ルイジアナ州周辺で大ヒット。ベース、ドラムスを含めたバンド形式のザディコとしては最初のヒット曲となる。この後もブーズー・チェイヴィズは数々のヒット曲を残し、「キング・オブ・ザディコ」の称号で呼ばれていたが、当時の黒人音楽の事情はミュージシャンが搾取される構造だったため、ヒットの割には大した収入は残らなかった。そのため、音楽ビジネスに失望して一度ブーズー・チェイヴィズは引退する。
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