ザイド派の成立とは? わかりやすく解説

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ザイド派の成立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 02:43 UTC 版)

ザイド派」の記事における「ザイド派の成立」の解説

スンナ派ハナフィー法学派学祖アブー・ハニーファは、ザイドの蜂起にこそ加担しなかったものの、その主張には賛意表明しザイド資金援助行ったザイド派は、他のシーア同じくイマーマ(英語版)を重視する一方でアリーの子孫ならば誰にでもイマームたる資格があるとする点で、他のシーア異なる。また、イマーム無謬性英語版)を否定する点で、現代シーア派最大多数派である十二イマーム派異なる。 法学理論に関しては、ザイド・ブン・アリー残した『マジュムーア・フィクフ』(アラビア語: مجموع الفِقه‎, Majmu’ al-Fiqh)に記載され教えに従うザイド派フィクフイスラーム法学)は、ハナフィー学派似ている神学理論に関しては、ムゥタズィラ学派と全く同じではないが非常に近い。両派の間にはイマーム権威認めるか認めないかという違いがある以外に相違点少ない(ムゥタズィラ学派認めない)。シーア派の中では非常にスンニ派似ている。なぜなら、ザイド主義スンニ派学者教理法理論共有するからである。 信仰に関しては、ウマイヤ朝暴政行い堕落しているとして反乱軍率いたザイド・ブン・アリーこそがイマームを継ぐべき正統者だと信じる。ムハンマド・バーキル政治的な行動起こしておらず、ザイド従った者たちは真のイマーム堕落した支配者と戦わねばならぬ信じたザイド派はフサイン・ブン・アリーの孫ザイド・ブン・アリーその子孫イマーム最高指導者)として認める。この点、第4代正統カリフアリー・イブン・アビー・ターリブと妻ファーティマの子孫のみを正当なイマームとみなす、他のシーア派大多数異なる。

※この「ザイド派の成立」の解説は、「ザイド派」の解説の一部です。
「ザイド派の成立」を含む「ザイド派」の記事については、「ザイド派」の概要を参照ください。

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