ザイド派の成立
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スンナ派ハナフィー法学派の学祖、アブー・ハニーファは、ザイドの蜂起にこそ加担しなかったものの、その主張には賛意を表明し、ザイドに資金援助も行った。 ザイド派は、他のシーアと同じくイマーマ(英語版)を重視する。一方で、アリーの子孫ならば誰にでもイマームたる資格があるとする点で、他のシーアと異なる。また、イマームの無謬性(英語版)を否定する点で、現代のシーア派最大多数派である十二イマーム派と異なる。 法学理論に関しては、ザイド・ブン・アリーが残した『マジュムーア・フィクフ』(アラビア語: مجموع الفِقه, Majmu’ al-Fiqh)に記載された教えに従う。ザイド派のフィクフ(イスラーム法学)は、ハナフィー学派に似ている。 神学理論に関しては、ムゥタズィラ学派と全く同じではないが非常に近い。両派の間にはイマームの権威を認めるか認めないかという違いがある以外に相違点は少ない(ムゥタズィラ学派は認めない)。シーア派の中では非常にスンニ派に似ている。なぜなら、ザイド主義はスンニ派の学者と教理と法理論を共有するからである。 信仰に関しては、ウマイヤ朝が暴政を行い堕落しているとして反乱軍を率いたザイド・ブン・アリーこそがイマームを継ぐべき正統者だと信じる。ムハンマド・バーキルは政治的な行動を起こしておらず、ザイドに従った者たちは真のイマームは堕落した支配者と戦わねばならぬと信じた。 ザイド派はフサイン・ブン・アリーの孫ザイド・ブン・アリーとその子孫をイマーム(最高指導者)として認める。この点、第4代正統カリフアリー・イブン・アビー・ターリブと妻ファーティマとの子孫のみを正当なイマームとみなす、他のシーア派の大多数と異なる。
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