サンタアニタ集合センター
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/08 06:40 UTC 版)
「アルカディア (カリフォルニア州)」の記事における「サンタアニタ集合センター」の解説
第二次世界大戦中の1942年、サンタアニタパーク競馬場のレーストラックは日系アメリカ人収容のためのサンタアニタ集合センターとなった。彼らは自宅やコミュニティから立ち退くことを強いられ、フランクリン・ルーズベルト大統領が発令した大統領令9066号のもとで強制収容された。日系人はカリフォルニア州内陸部または州外の日系人収容所に送られるまでの間、集合センターに拘留された。全18か所あった集合センターのうち、サンタアニタの集合センターは最も大規模で長期間にわたり存在した。18,000人以上の人々が原始的な環境の競馬場で生活していた。タール紙に覆われたバラックが400軒以上建てられ、1軒につき3つの家族が収容された。約8,500人は厩舎だった場所で生活した。独身男性は競馬場の観覧席で生活した。共同のシャワーはあったが、個人用の風呂場はなく、24時間監視下に置かれた。環境は極めて厳しく、一人につき「軍用簡易ベッド、毛布とわらの枕が一つ」与えられた 。集合センターは1942年3月から10月末まで置かれていた。その後日系人は州内のマンザナー強制収容所やトゥーリーレイク戦争移住センター、その他西部やアーカンソー州にあった8つの強制収容所に送られた。 現在記念碑などは残っていないが、集合センターがあった場所はカリフォルニア州の州定歴史建造物になっている。 1942年11月、アメリカ陸軍武器科の訓練施設とするために移譲され、キャンプ・サンタアニタに改名された。戦争終盤にはドイツアフリカ軍団の数千人の捕虜を収容した。
※この「サンタアニタ集合センター」の解説は、「アルカディア (カリフォルニア州)」の解説の一部です。
「サンタアニタ集合センター」を含む「アルカディア (カリフォルニア州)」の記事については、「アルカディア (カリフォルニア州)」の概要を参照ください。
- サンタアニタ集合センターのページへのリンク