サルディス侵攻とエフェソスの敗戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/12 03:25 UTC 版)
「イオニアの反乱」の記事における「サルディス侵攻とエフェソスの敗戦」の解説
詳細は「Battle of Sardis」および「Battle of Ephesus」を参照 紀元前498年、アテナイ船団20隻と、他に唯一支援を決定したエレトリアの船団5隻の増援は、エフェソスでイオニア軍と合流し、サルディスに侵攻した。アルタプレネスはサルディスの下町を放棄し、市中心部のアクロポリスまで防衛線を後退させて援軍を待つ作戦をとったため、反乱軍は殆ど抵抗を受けることなくサルディス市街を占拠した。市街は大部分が戦火によって焼け落ちた。サルディスを攻めきれなかった反乱軍は、騎馬部隊を警戒してエフェソス近郊まで撤退したが、サルディス侵攻の知らせを受けたペルシア騎兵隊に追撃され、大敗した。この敗北によって苦杯をなめたアテナイ、エレトリアの支援部隊は母国に帰還し、以後いかなる援助も行わなかった。しかし、イオニア反乱軍はなおも抵抗を続け、ビュザンティオンを占拠し、カリア(イオニア南部)、キプロスを同盟に加えるなど、小アジア全域に反乱を焚き付けた。
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