サラーフッディーン没後の混乱とは? わかりやすく解説

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サラーフッディーン没後の混乱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/14 08:00 UTC 版)

アル=ファーディル」の記事における「サラーフッディーン没後の混乱」の解説

サラーフッディーン死後、その長男アル=アフダルが後を継いだが、ファーディルはアフダル見切りをつけエジプトアル=アジーズのもとへ走ったアフダルや、サラーフッディーンの弟アル=アーディルを含むシリアアイユーブ諸侯連合と、アジーズの間に対立持ち上がる1194年1195年二度衝突最終局面において、アジーズ側のファーディルとアフダル側のアーディルとの間で話し合い持たれアジーズ前年確保したイェルサレムアフダル割譲しアーディルエジプト居座ることを認めた1196年今度アーディルアジーズ組みアフダルダマスカスから追い出してシリア実権握った。南シリアアーディルエジプトアジーズ安定するかに思えたが、1198年突如アジーズ落馬事故死去アジーズ息子マンスール後を継ぐ幼年のため、エジプトアミールたちはアーディル追放されていたアフダル招聘するアフダルシリア攻撃もくろみ進軍するが、アーディルに逆侵攻を受け敗走。 ファーディルはこの時のアーディルエジプト進駐前後して死去享年65。ムカッタム山のふもとにある共同墓地に廟が建てられ、そこに埋葬された(なお、この共同墓地には彼の父も埋葬されている)。この後エジプトではアフダル追放されアーディル即位することとなる。

※この「サラーフッディーン没後の混乱」の解説は、「アル=ファーディル」の解説の一部です。
「サラーフッディーン没後の混乱」を含む「アル=ファーディル」の記事については、「アル=ファーディル」の概要を参照ください。

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