サラーフアッディーンによるエルサレム征服
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「第3回十字軍」の記事における「サラーフアッディーンによるエルサレム征服」の解説
1169年にエジプトの実権を掌握したサラーフアッディーンは、1171年には宰相を務めていたファーティマ朝を滅ぼして自らアイユーブ朝を開くと、その後の彼はパレスチナの地からキリスト教勢力を駆逐するという信念の実現に生涯をかけて尽力した。1174年にシリアを傘下に治め、十字軍王国の包囲体制を整えた。1187年7月4日、サラーフアッディーンはハッティンの戦いで十字軍に勝利し、10月2日にエルサレムが降伏してエルサレム王国は滅亡した。この時、十字軍とは反対にキリスト教徒の虐殺は行われなかった。一方、キリスト教勢力の拠点は、アンティオキア、トリポリ、ティールのみとなった。
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