サラーフッディーンとの結婚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/20 06:06 UTC 版)
「イスマトゥッディーン・アーミナ」の記事における「サラーフッディーンとの結婚」の解説
ヌールッディーンの死後、サラーフッディーンがエジプトで勢力を固めシリアへ進出してきた。イスマトゥッディーンはサラーフッディーンが周辺の情勢を落ち着かせた後、彼と結婚することとなる。この時、イスマトゥッディーンは少なくとも39歳に達していた。この結婚は多分に形式的なものであり、新夫サラーフッディーンは彼女と二夜だけともにするとあわただしく出立していった。彼女とサラーフッディーンとの間にも子はない。ただ、サラーフッディーンは彼女に無関心だったわけではなく、1186年に自身が病に倒れた際は毎日長文の手紙を彼女に送っていた。同年に彼女は亡くなっていたが、宰相アル=ファーディルは主君がショックを受けるのを避けるため、しばらく彼女の死を隠していたという。 死後、彼女は自身が建築を命じたダマスカスの廟に埋葬された。
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