サボイア朝、第一共和政からアルフォンソ12世の即位
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 14:22 UTC 版)
「スペイン・ブルボン朝」の記事における「サボイア朝、第一共和政からアルフォンソ12世の即位」の解説
革命評議会はセラーノを首班とする内閣を結成し、翌年に1869年憲法が公布された。新政府は立憲君主制を模索し、外国から君主を迎えようとした。最初はホーエンツォレルン=ジグマリンゲン家の公子レオポルトが選ばれたが、ナポレオン3世の圧力で潰された(この問題は後々まで尾を引き、普仏戦争の原因となる)。 結局、サヴォイア家から統一イタリア王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の次男アオスタ公アメデーオが選ばれた。アメデーオ改めアマデオ1世は1871年にマドリード入りし、立憲体制の確立に努めたが、外国人であることから周囲の反応は冷ややかで、唯一の味方と言えるプリムも既に暗殺されていた。堪え切れなくなったアマデオ1世は1873年に退位し、フィゲーラスを大統領とする第一共和政が成立するが、翌1874年のカンポス将軍のクーデターにより、アルフォンソ12世が正式に即位することになった。 この間に第三次カルリスタ戦争が勃発したが(1873年 - 1876年)、これがカルリスタの最後の武装蜂起となった。カルリスタは以後もスペイン王位を要求し続けるが、本家であるフランス・ブルボン家の血筋が絶えると、レジティミストの要請により名目上のフランス王位を兼ねることになる。
※この「サボイア朝、第一共和政からアルフォンソ12世の即位」の解説は、「スペイン・ブルボン朝」の解説の一部です。
「サボイア朝、第一共和政からアルフォンソ12世の即位」を含む「スペイン・ブルボン朝」の記事については、「スペイン・ブルボン朝」の概要を参照ください。
- サボイア朝、第一共和政からアルフォンソ12世の即位のページへのリンク