サドーザイ朝成立まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/08 15:15 UTC 版)
「ドゥッラーニー部族連合」の記事における「サドーザイ朝成立まで」の解説
16世紀にパシュトゥーン人はスレイマン山脈からヘラートやカンダハールなどの幹線地域に進出した。17世紀、ドゥッラーニー部族連合の前身であるアブダーリー族はヘラートに居て、サファヴィー朝の下で街道警備を行っていた。部族長の一人であるサドーはアッバース1世から部族連合の長に任命され、サドーザイ氏族の始祖となった。この頃カンダハールのギルザイ族もサファヴィー朝に従っていたが、宗教上の理由で反旗を翻し、1709年にホータキー朝を作った。 ホータキー朝とサファヴィー朝の争いは1729年まで続き、サファヴィー朝のナーディル・シャーがホータキー朝を倒した。1732年、ナーディル・シャーは戦争中に自立していたアブダーリー族に対しても戦端を開き、ヘラートを占領した。アブダーリー族は西へ追放され、ナーディル・シャーの部下になった。1736年、ナーディル・シャーはサファヴィー朝を簒奪してアフシャール朝を作り、広大な地域を征服した。 しかし1747年に暗殺され、同年サドーザイ氏族のアフマド・ハーン・アブダーリーことアフマド・シャー・ドゥッラーニーが自立して、サドーザイ朝を興した。
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