サッチャー内閣の閣僚として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/30 23:52 UTC 版)
「ジョン・メージャー」の記事における「サッチャー内閣の閣僚として」の解説
1985年のマーガレット・サッチャー内閣の内閣改造の際に保健社会保障省関連の役職に就いた。ついで1987年に財務首席政務次官(英語版)として初入閣。閣内では予算削減継続の管理能力を高く評価された。 1989年7月にサッチャーと対立したジェフリー・ハウ外務・英連邦大臣の辞職に伴い、代わって外務・英連邦大臣に就任した。 ところが外務・英連邦大臣の就任から3カ月後の同年10月にナイジェル・ローソン財務大臣がサッチャーの経済問題アドバイザーであるアラン・ウォルターズと対立して辞職したため、代わって財務大臣に転任することになった。サッチャーはメージャーを財務大臣に任命するに当たって「ナイジェルほど経済に精通していないが、少なくとも過去の政策の失敗に囚われて身動きできなくなるようなことはない。彼は心理的には、政策の失敗から引き起こされた結果にははるかに容易に対応できたはずだから」と彼のことを論評している。 メージャーが財務大臣になった頃の景気は悪く、経常収支が大幅赤字で、インフレが急速に進行し、金利が上昇していた。メージャーはサッチャーに欧州為替相場メカニズム(ERM)加盟を進言し、消極的だった彼女を説得して実現にこぎつけた。
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