サウス・イースタン鉄道との路線交渉
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「ロンドン・ブライトン・アンド・サウス・コースト鉄道」の記事における「サウス・イースタン鉄道との路線交渉」の解説
会社は鉄道狂時代のバブル崩壊と同時に設立されたため、開業後数年間は既存の延伸工事をするのに精一杯でその他の路線拡張のための資金調達に非常に苦労した。また、レッドヒル駅やヘイスティングス駅、そしてロンドン・ブリッジ駅周辺でサウス・イースタン鉄道(英語版)の路線に乗り入れていたため、同社との関係性にも苦労した。1849年10月、SERはノース・ダウンズ線(英語版)を建設したレディング・ギルフォード・アンド・リーゲート鉄道(RG&RR)を買収し、LB&SCRはこれを自社領域への侵入と捉えた。一方でLB&SCRもブライトン鉄道時代にはなかったニュー・クロスからクロイドンまでの自社路線という武器を有していた。同年にLB&SCRは新しいチェアマンとしてサミュエル・レイング(英語版)を招き入れ、SERとの間で両者の領域を明確に定めるための交渉を行なった。これにより同社はロンドン・ブリッジ駅やブリックレイヤーズ・アーム駅とその貨物駅、それにヘイスティングス駅へ無料で乗り入れる権利を手にした。一方でSERもニュー・クロスからクロイドンまでの区間を無料で通行する権利とその中間駅からの運賃収入を手にし、それと引き換えにブライトン、ホーシャム、チチェスター、ポーツマスへの路線建設を諦めた。
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