ケールレル十字
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/31 09:07 UTC 版)
「フョードル・アルトゥーロヴィチ・ケールレル」の記事における「ケールレル十字」の解説
1918年末、ヘーチマン政権の転覆後、P・R・ベールモント=アヴァーロフ大佐はドイツ軍とともにキエフを脱出した。ロシアの将校らはザルツブルクの宿営に抑留された。そこで、彼らのあいだに沿バルト地方にてドイツとの同盟義勇軍を編成しようという考えが生じた。そのシンボルである「忍耐と戦闘に倦むことを知らない」白のマルタ十字は、この十字を(小姓軍団の最上級生として)身に着けていたF・A・ケールレルの追憶として、「ケールレル十字」と呼ばれた。後年、十字の色は黒に変えられた。 沿バルト地方でベールモント=アヴァーロフ公爵の下で編成された西義勇軍では、第1義勇ケールレル伯記念軍団など、ケールレル伯の名をつけた部隊がいくつも編成された。
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