ケルサン・ギャツォの即位
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 07:35 UTC 版)
「ダライ・ラマ7世」の記事における「ケルサン・ギャツォの即位」の解説
ジュンガル撤退後、チベットを占領した清朝、青海ホシュート、モンゴルの連合軍とチベット在地の貴族はケルサン・ギャツォを正式なダライ・ラマとして擁立、一致協力して旧秩序の回復にあたった。 1720年、12歳となったケルサン・ギャツォはポタラ宮で新ダライ・ラマとして玉座に就き、パンチェン5世(2世)ロサン・イェシェーの下で改めて受戒し、正式に「ロサン・ケルサン・ギャツォ」と名を改めた。1726年、サカ・ダワ(仏陀生誕)の吉祥月にパンチェン・リンポチェより具足戒を受けて正式な比丘となった。ケルサン・ギャツォは、ギュメ寺の座主パンチェン・ロサン・イェシと、シャル寺の座主ンガワン・ヨンテンの2人に師事して主要な仏教哲学の論文を読破し、顕教および密教の指導者となった。
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