グレーシャー・ハウス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/24 03:29 UTC 版)
「グレーシャー国立公園」の記事における「グレーシャー・ハウス」の解説
ロジャーズ峠に至る路線はあまりに勾配が急なため、CPRは食堂車の運用を断念し、1886年に峠の西側へホテルを建設した。同年に全く同じフロアプランで建築されたヨーホー国立公園のマウント・ステファン・ハウス(英語版)を含む、カナダ中に設けられたCPR所有のホテル(英語版)の一つとして加わった。イルシルワト氷河(当時はグレート氷河と呼ばれていた)の末端近くに建てられたグレーシャー・ハウスは、セルカーク山脈における観光・登山・氷河研究・撮影の中心となった。ホテルは1905年と1911年の二度増築され、20世紀の変わり目におけるカナダ西部で1級の観光スポットとみなされるようになった。 ホテルは世界中から登山家を惹きつけ、その標高のために、登山者は部屋を出て数時間のうちに高山へと分け入ることができた。1899年、CPRは高山地帯に向かう山にあまり詳しくない観光客向けに、スイス人ガイドを数名雇い入れた。グレーシャー・ハウスの時代を通じて、園内の数多くの未踏峰が征服されていった。ホテルは、高山環境の研究を切望する博物学者や科学者をも惹きつけることとなった。メアリー・ヴォー・ウォルコットと弟のジョージにウィリアム・ヴォーはこの地域を幾度と無く訪れ、イルシルワト氷河の最初の価格的研究を開始した。
※この「グレーシャー・ハウス」の解説は、「グレーシャー国立公園」の解説の一部です。
「グレーシャー・ハウス」を含む「グレーシャー国立公園」の記事については、「グレーシャー国立公園」の概要を参照ください。
- グレーシャーハウスのページへのリンク