グラノビータヤ‐きゅうでん【グラノビータヤ宮殿】
グラノヴィータヤ宮殿(多稜宮)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 02:27 UTC 版)
「クレムリン」の記事における「グラノヴィータヤ宮殿(多稜宮)」の解説
1481年から1891年にかけて建造された宮殿。イタリア人建築家マルコ・ルッフォ(ロッフォ)とピエトロ・ソラーリによる。ファザードが白い多面体の石で覆われているため、グラノヴィータヤ(多面体、多稜の)の名称が着いた。高さ9メートル、広さ490平方メートルのアーチ構造のホールが内部にある。帝政ロシア時代には、イワン雷帝のカザン占領記念の祝典や、ピョートル大帝のポルタヴァの戦いの勝利祝典など、公式行事やレセプション会場に用いられた。
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