グラウンド・エフェクトカー時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 03:48 UTC 版)
「チーム・ロータス」の記事における「グラウンド・エフェクトカー時代」の解説
1977年に登場した78はこれまでの常識を覆す、グラウンド・エフェクト・カーという新機軸を打ち出した。翌1978年にこれを発展させた79は圧倒的な速さを見せ、マリオ・アンドレッティをワールドチャンピオンに導いた。その一方で同じくチャンピオン争いをしていたロニー・ピーターソンをイタリアGPにで事故で失うという悲劇に見舞われた。 しかし1979年以降は、他チームもグラウンド・エフェクト・カーのコンセプトをコピーするようになった。そしてロータスの優位性は徐々に崩れ、ダウンフォースをウイングではなくグラウンド・エフェクトのみに頼る80の失敗による成績不振に苦しみなかなか勝てないシーズンが続くことになる。さらに「ツイン・シャシー」を搭載した88を投入しようとしたものの、これはFIAからレギュレーション違反とされて、お蔵入りとなる。その一方で他チームが使用するハイドロリックによる車高調整サスペンションは黙認された。この一件を境にしてオーナーのコーリン・チャップマンが徐々にF1に対するモチベーションを下げていくようになっていった。 1982年のオーストリアGPでエリオ・デ・アンジェリスがドライブする91がウィリアムズのケケ・ロズベルグと激しいバトルの末チームに久々の勝利をもたらすものの、シーズン終了後にオーナーのチャップマンが心臓発作で急死するというアクシデントに見舞われる。
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