クルク島とは? わかりやすく解説

クルク‐とう〔‐タウ〕【クルク島】

読み方:くるくとう

Krkクロアチア西部の島。アドリア海に浮かぶ島の中で最も大きく最北端位置する本土長さ1430メートル結ばれる主な町クルク海岸保養地として知られる


クルク島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/03 08:55 UTC 版)

クルク島
海から眺めた中心の町、クルク

クルク島(クルクとう、英語: Krkクロアチア語: Krčkiイタリア語: Vegliaドイツ語: Veglラテン語: Curicta)は、クロアチアアドリア海北に浮かぶ。行政上はプリモリェ=ゴルスキ・コタル郡に属している。

位置・地勢

人口19,916人(2021年)。アドリア海の島で最も人口が多い。最大の町は人口6,816人(2021年度時点)を抱えるクルクである。その他にも町村がある。

1980年に掛けられた長さ1,430メートルのクルク橋(Krčki most)を通じてクロアチア本土と結ばれており、南ドイツや東欧から観光客が訪れる。40年以上が経ち潮風による劣化が進んでいることや、観光シーズンの渋滞を解消するため、4車線道路と鉄道線路を併せ持つ新しい橋を建設中である。鉄道はオミサリのリエカ空港に接続する。2030年に開通予定である[1]

歴史

島には紀元前10世紀から人が定住している。古代ローマ人は島をクリクタ(Curicta)と呼んでいた。ローマ内乱時代、クリクタの湾でユリウス・カエサルポンペイウスの艦船が海戦を繰り広げた。1,000年以上、島はダルマチア語の方言ヴェグリオットの中心地であった。島は伝統的にクロアチア文化の中心であった。グラゴル文字で多様な文学作品が創られ、その一部は島に保存されている。クルクには中世司教座があり、重要な貴族フランコパン家英語版に支配された。

クルクは中世からヴェネツィア共和国の支配下にあり、1797年のカンポ・フォルミオ条約以後はイストリアとともにオーストリア帝国領となった。第一次世界大戦後、島はイタリアに併合され、第二次世界大戦後にユーゴスラビア社会主義連邦共和国の一部となった。

脚注

  1. ^ Croatia: new Krk bridge coming in 2029” (英語) (2024年2月27日). 2024年11月29日閲覧。

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