クラークのイリノイ方面作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/22 11:38 UTC 版)
「西部戦線 (アメリカ独立戦争)」の記事における「クラークのイリノイ方面作戦」の解説
詳細は「イリノイ方面作戦」を参照 1778年遅く、若きバージニア民兵士官ジョージ・ロジャース・クラークが、イギリス軍の防御が手薄なイリノイ地方を攻略する作戦を開始した。1778年7月4日、志願兵の1個中隊を指揮したクラークは、イリノイ地方の主要駐屯地カスカスキアを占拠した。さらにビンセンズ基地を降伏させたが、ビンセンズはデトロイトのイギリス軍指揮官ヘンリー・ハミルトン将軍に取り返された。1779年2月、クラークは冬季にも拘わらず再びビンセンズを急襲し今度はハミルトンを捕虜にした。 アメリカの辺境に住む人たちには、ハミルトンは「髪買い将軍」として知られていた。というのもハミルトンがインディアンにアメリカの市民を殺して頭皮を剥ぐように指示していると信じられていたからである。このためにトーマス・ジェファーソン知事はバージニアのウィリアムズバーグにハミルトンを連行し、戦争犯罪人として裁判に掛けた。しかし、イギリス軍がアメリカ人捕虜に報復措置を取ると脅かしたので、1781年にジェファーソンが折れて、ハミルトンと捕虜の交換に応じた。
※この「クラークのイリノイ方面作戦」の解説は、「西部戦線 (アメリカ独立戦争)」の解説の一部です。
「クラークのイリノイ方面作戦」を含む「西部戦線 (アメリカ独立戦争)」の記事については、「西部戦線 (アメリカ独立戦争)」の概要を参照ください。
- クラークのイリノイ方面作戦のページへのリンク