キリスト教精神による教育
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/13 15:58 UTC 版)
「南山国際中学校・高等学校」の記事における「キリスト教精神による教育」の解説
この世界の一切が、神の愛である創造の業により無から呼び出されたものであり、従って我々人間もその愛に対して謙虚であるべきと説く、キリスト教世界観と人間観を基礎におく教育を実施している。ある程度の成長をし自分で物事を処理出来るようになると、人間はその主体性を傲慢な在り方に位置付けがちであるが、この世界観はそうした傲慢さに反省を促す。神は何の前提与件も無い「無からの創造」によって、我々を含むこの世界を支えるが、人間は決して「無からの創造」は為し得ない。人間の為し得ることは、神が存在を与えたものを前提にした「製作」に過ぎないのである。こうした教えによって、傲慢さを拭い去り、謙虚に神の愛の結果である世界に対する態度を育むのである。 同時に、人間は「神の似姿」であるとされるキリスト教人間観では、神の世界創造に類比して「価値創造」を為す者として、人間の世界の諸存在に対する責任が問われる。南山の教育において最も大切にしているものが、この点である。
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