キャンディーズとヤンタン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 07:16 UTC 版)
「ヤングタウンTOKYO」の記事における「キャンディーズとヤンタン」の解説
キャンディーズが大ブレイクした1975年、メイン司会者は桂三枝が務めており、アシスタント的存在として小島一慶(TBSアナウンサー(当時))、マリ・クリスティーヌが居た。夏にはメイン司会が毒蝮三太夫に変更。紳士的な対応をしていた三枝に比べ、ワイルドな言動だった毒蝮は若者たちからの反発をかっていた。キャンディーズのゲスト出演時はスー(田中好子)へのセクハラまがいの発言や行動が目立ち、その度に大ブーイングが起き、ファンの中には毒蝮を本気で憎む者も居たくらいである。毒蝮は1977年まで担当。その後は鈴木ヒロミツが担当した。 ヤングタウンTOKYOの観覧はTBSホール前で配布される整理券が必要で、従来のラジオ番組の公開生放送は事前に往復ハガキで観覧申し込みを行い、返信ハガキで入場の可否を確認するシステムを取った。ヤンタンはこの手続きが不要で、放送当日にTBSホールへ行って整理券を取得すれば観覧することが出来た。ゲストによっては整理券を求める客が長蛇の列をなし、前夜から並ぶ徹夜組も珍しくは無かった。公開放送への入場は整理券番号順に行われていた。TBSホールの収容人員は約400名。自由席だったため、整理券の番号が若いほど良席を得られた。自由席というメリットを生かして、若番で入場した先行隊が上着や荷物で余分に座席を確保。後から入場して来た仲間に与えるという作戦も横行していた。特に厚着となる冬季間ではマフラーなどが活躍し、1人で数名分の座席を取る手法が行われていた。 番組内で石川晶→キャンディーズが歌っていたテーマソング「土曜の夜に何が起ったか」(作詞:山上路夫、作曲:村井邦彦)はその後、歌詞違いでアパッチの4thシングル「カーニバル」のB面「ミッドナイト急行」(作詞:伊藤アキラ、作曲:村井邦彦)として1978年に(キャンディーズと同じ)CBSソニーからリリースされた。
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