カーブの成立背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/11 06:40 UTC 版)
現在の近鉄名古屋線に当たる路線を建設した会社の一つである伊勢鉄道は、もともと鉄道空白地帯であった四日市市(四日市駅)と津市(津駅・部田駅)の間を短絡する路線の建設を目的に設立された軽便鉄道会社で、軌間は1,067 mmと国鉄路線と同じものを採用しながらも、非電化・単線というローカル鉄道に過ぎなかった。 だが、三重県における有力実業家であった熊沢一衛が社長に就任すると、社名を伊勢電気鉄道と改めた上で、「三重県一の私鉄」に規模を拡大させることを目指すようになった。改称した年に全線の直流電化を完成させた(三重県初の電気鉄道)のを皮切りに、津から南下して伊勢神宮のある宇治山田市(今の伊勢市)と、四日市から北の名古屋市への路線延伸を計画し、昭和に入ってから諄々と実行に移していった。 しかし、伊勢電気鉄道は国鉄四日市駅に発着していたものの、駅の北方向は既に市街地と化しており、線路を敷く余裕が無かった。そこで、西方から同じ四日市駅に乗り入れていた三重鉄道(現:四日市あすなろう鉄道)・四日市鉄道(現:近鉄湯の山線)の路線地盤を、隣駅の諏訪駅(近鉄四日市駅の前身)に至る区間まで買収し、両線の諏訪・四日市間を廃止してその上に路線を敷き、諏訪駅から北へ進路を切るようにした。そしてこの時、南から来た線路を西へ向かわせるため、ほぼ直角に曲がる必要が出来、その結果成立したのがこのカーブであった。
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