カポネ・ギャング
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 02:33 UTC 版)
渡米後、マーリョは名前を英語式に"ポール・リッカ"と変え、最初の頃は、ジェンナ兄弟の下で酒の密売に関わっていたが、まもなくシカゴに移った。そして、“ダイヤモンド・ジョー”・エスポジートのナイトクラブ「ベラ・ナポリ」でウェイターをしながら、店の常連客だったカポネ、ニッティらシカゴギャングの面識を得て、キューバ経由のウイスキー密輸を手伝った。彼のニックネームである「ウェイター」はここから由来している。 フランク・ニッティの手引きでカポネの組織に入り、東海岸マフィアとの連絡役など非暴力系の仕事を任され、ニッティの右腕として頭角を現した。1929年5月、カポネと共にアトランティックシティのギャング会議に出席し、全米から参集したギャングと交流した。1931年、ニューヨークのカステランマレーゼ戦争では調停の特使を務めた。
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