カサ・テクレベルハン・ガブラヒウォットとは? わかりやすく解説

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カサ・テクレベルハン・ガブラヒウォット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/29 09:52 UTC 版)

カサ・テクレベルハン・ガブラヒウォット[注釈 1]アムハラ語: ካሣ ተክለብርሃን ገብረሂወት英語: Kassa Tekleberhan Gebrehiwot[1])は、エチオピア政治家、元駐米大使英語版、元駐日大使アムハラ州ソコタアムハラ語版英語版出身[2]

経歴

1974年から1991年にかけて、ソビエト連邦の支援を背景にデルグアムハラ語版英語版が独裁体制を敷いていたが、この共産主義体制と戦っていたアムハラ民族民主運動(ANDM)に参加することでカサは政治活動に身を投ずる。デルグによる支配体制が崩壊した後は、国防省英語版と故郷アムハラ州で官僚として奉職。次いで、エチオピアの上院である連邦院英語版の政治家となり、2015年10月には連邦・牧畜地域開発大臣を拝命して農村開発に取り組んだ[2]

また、2006年にはカリフォルニア州アズサアズサ・パシフィック大学英語版(APU)で管理型リーダーシップの修士を取得している[2]

2017年12月11日、カサは信任状の真正な写しをアメリカ合衆国国務省に提出[3]2018年1月14日、ホワイトハウスドナルド・トランプ米大統領信任状を捧呈し、駐米大使英語版として正式に就任した[4]

2019年3月27日、次期駐日大使として日本に着任[5]。同年7月4日、皇居で信任状を捧呈して駐日大使として正式に就任した[6]。同年8月には平和記念式典の開かれた広島平和祈念式典の開かれた長崎を訪問し、8月8日には長崎市松山町平和公園原爆落下中心地碑で献花して犠牲者を追悼した上で、「現在は困難な部分もあるが、核兵器のない世界を日本と共に目指す。必要なのは世界の人々の協同だ」と述べて核廃絶に対する共感と支持を表明した[7]

2019年10月22日、皇居正殿松の間で今上天皇即位礼正殿の儀が執り行われ[8]ムラトゥ・テショメ元大統領・元駐日大使と共に参列した[9]

2021年9月13日、駐日大使離任に当たって鷲尾英一郎外務副大臣を表敬訪問した[10]

脚注

注釈

  1. ^ 内祖父名を省略してカサ・テクレベルハンアムハラ語: ካሣ ተክለብርሃን英語: Kassa Tekleberhan)、あるいは父親名を省略してカサ・ガブラヒウォットアムハラ語: ካሣ ገብረሂወት英語: Kassa Gebrehiwot)とも。また、カサ・テクレブラハン・ガブラヒウォットカサ・テクレブルハン・ガブラヒウォットとカナ表記されることもある。

出典

外部リンク

公職
先代
チャム・ウガラ・ウリヤトゥ
駐日エチオピア大使
2019年 - 2021年
次代
テフェラ・デルベゥ・イマム
先代
ギルマ・ビッル
駐米エチオピア大使英語版
2017年 - 2018年
次代
フィツム・アレガ英語版



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