オーストラリア南極遠征 1911年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/02 05:04 UTC 版)
「アーネスト・ジョイス」の記事における「オーストラリア南極遠征 1911年」の解説
ジョイスはスコットのテラノバに加わるよう求められなかったが、フランク・ワイルドなどシャクルトンの隊員の数人は求められた。ただしワイルドは辞退した。その代わりにジョイスとワイルドは二人共ダグラス・モーソンのオーストラリア南極遠征に契約した。ジョイスはこの遠征のためにデンマークに行って犬を入手し、それらをタスマニアまで連れて行ったが、ある証言ではオーストラリアから出発する前に、モーソンから「解任」されたことになっている。しかしこれは曖昧であり、別の証言ではモーソンとジョイスが「喧嘩別れして袂を分かった」とだけ記されている。さらに別の証言では、モーソンが岸の隊員を3人から2人に減らした時にジョイスが降りたということである。モーソンはジョイスを信用しなくなったとされており、「彼はホテルであまりに多くの時間を過ごしている」と言っており、飲酒が問題の背後にあったことを示唆している。状況がどうあれ、ジョイスは遠征に参加しなかった。オーストラリアに留まり、シドニー港信託で職を得た。
※この「オーストラリア南極遠征 1911年」の解説は、「アーネスト・ジョイス」の解説の一部です。
「オーストラリア南極遠征 1911年」を含む「アーネスト・ジョイス」の記事については、「アーネスト・ジョイス」の概要を参照ください。
- オーストラリア南極遠征 1911年のページへのリンク