オルセー宮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/13 00:02 UTC 版)
ナポレオン・ボナパルトは現在オルセー美術館のある場所に外務省の庁舎を立てることを計画し、1810年にオルセー宮(Palais d'Orsay)が完成した。しかし結局外務省がこれを使用することはなく、1840年以降は国務院が、また1842年からは会計検査院が使用していた。宮殿はパリ・コミューン末期の1871年5月23日夜から24日未明にかけて放火により焼失した。 焼け跡はしばらくの間放置され、雑草が生い茂る廃墟と化していたが、19世紀末になるといくつかの跡地利用案が提案された。政府の機関が使用するものや美術館とするものなどがあったが、そのうちの一つにパリ・オルレアン鉄道によるターミナル駅建設案があった。
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