オルセーでの生活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/18 13:53 UTC 版)
1959年、湯浅の研究室は、新しくできたオルセー原子核研究所へと移動した。ここでも湯浅は研究の他に、日本からの留学生の対応、国際会議への参加など、多忙を極めた。 1967年、東京で開かれた原子核国際会議に参加するため、18年ぶりに日本に帰国した。この帰国をきっかけに、日本の研究者とCNRSとの間の交流が盛んになった。また、湯浅に対する日本の科学雑誌などへのエッセイの依頼も増えるようになっていった。 1970年ごろから湯浅は体調が思わしくないことが多くなった。湯浅は仕事を優先させて自らの体調管理にはあまり気を使わないでいたが、1973年にようやく病院に通い、胃と胆のうを摘出する手術を受けた。
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