オリンピックで銅メダル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 09:07 UTC 版)
1989年に大学卒業後は、現役を続けるため実業団の東洋水産に入社。講道館杯で4連覇、全日本選抜体重別選手権で3連覇を果たすなど国内で軽量級の第一人者に躍り出たほか、1989年の世界選手権(ベオグラード)で準優勝、翌90年のアジア大会(北京)で優勝という成績を残し、91年の世界選手権(バルセロナ)ではついに世界の頂点に立った。オリンピックイヤーの1992年には、大会直前の全日本選抜体重別選手権で格下の乙黒靖雄に敗れるも、屈辱をバネにプライドを捨てて稽古に打ち込んだ。「自分の力を出し切る」と臨んだオリンピック本番では、準決勝でEUNのナジム・グセイノフに敗れたものの、そこから気持ちを切り替えて3位決定戦でフランスのフィリップ・プラディロールに合技で一本勝ちし銅メダルを獲得した。なお、試合後のインタビューで「力と力の勝負をして(グセイノフに)負けたんだから仕方ない。俺よりも強い奴がいたという事です。」と晴れ晴れしい表情で語った。
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