オペラ「オルフェウス」上演とのかかわり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/12 15:49 UTC 版)
「渡部康三」の記事における「オペラ「オルフェウス」上演とのかかわり」の解説
日本人による最初のオペラ上演とされているグルック作曲「オルフェウス」は1903年(明治36年)7月23日に、ノエル・ペリー指揮、ラファエル・フォン・ケーベルのピアノ伴奏で行なわれ、声楽専攻の柴田環(後の三浦環)などが出演した。合唱には渡部康三自身や、オーボエの草分となる島田英雄(日本聖公会の聖職者で英語教育者である静岡学問所出身の幕臣、島田弟丸の子)などが参加している。 この公演の費用は、殆どが渡部朔が弟の渡部康三の卒業祝い(同年夏に卒業、当時は秋から夏までの欧米式の学期制)として渡した1000円(現在では数百万円とされる)を使ったものであった。また歌詞の翻訳には、東京帝国大学や東京外国語学校の学生だった乙骨三郎、石倉小三郎、近藤朔風(逸五郎)などが加わり、いずれも後に音楽評論家、訳詞家として名を成している。因みに乙骨三郎の父親、乙骨太郎乙は、沼津兵学校教授として、渡部康三の父、渡部温の同僚であった。公演の準備や打ち合わせには、田口卯吉(沼津兵学校資業生から歴史・経済学)邸が頻繁に使われ、乙骨三郎の従兄であった上田敏もアドバイスに訪れていたとされる。
※この「オペラ「オルフェウス」上演とのかかわり」の解説は、「渡部康三」の解説の一部です。
「オペラ「オルフェウス」上演とのかかわり」を含む「渡部康三」の記事については、「渡部康三」の概要を参照ください。
- オペラ「オルフェウス」上演とのかかわりのページへのリンク