オフラーナによる徴募とボリシェヴィキへの浸透
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/01 18:30 UTC 版)
「ロマン・マリノフスキー」の記事における「オフラーナによる徴募とボリシェヴィキへの浸透」の解説
1906年、マリノフスキーはロシア社会民主労働党に入党し、サンクトペテルブルクで金属労働者の組合に加わって働いた。1910年5月、オフラーナに逮捕されるがすぐに釈放され、オフラーナのスパイとしてボリシェヴィキ内部に浸透した。彼の目的は、ボリシェヴィキとメンシェヴィキの台頭を防ぐために両者を分裂させることだった。労働者出身で演説がうまい上に組織力に優れていたことから1912年にはウラジーミル・レーニンの推薦を得て、ボリシェビキ党中央委員会のメンバーとなった。同年、マリノフスキーは国会(英語版、ロシア語版)(ドゥーマ)の選挙でモスクワ県から立候補、労働者階級の支持を得て議員に当選、6名からなるボリシェヴィキ議員団を率いた。一方、マリノフスキーはオフラーナのスパイとして数名のボリシェヴィキ活動家の逮捕とシベリア流刑にも(彼らに知られることなく)加担した。ヨシフ・スターリン、ヤーコフ・スヴェルドロフはマリノフスキーがもたらした情報を元にオフラーナによって逮捕されている。
※この「オフラーナによる徴募とボリシェヴィキへの浸透」の解説は、「ロマン・マリノフスキー」の解説の一部です。
「オフラーナによる徴募とボリシェヴィキへの浸透」を含む「ロマン・マリノフスキー」の記事については、「ロマン・マリノフスキー」の概要を参照ください。
- オフラーナによる徴募とボリシェヴィキへの浸透のページへのリンク