エレクトロライナーの導入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/08 06:56 UTC 版)
「シカゴ・ノースショアー・アンド・ミルウォーキー鉄道」の記事における「エレクトロライナーの導入」の解説
この旅客電車の近代化計画のうち最も重大な点は2編成の流線形連接電車の導入である。これらの電車は半永久連結の4両編成であった。両側の先頭車には喫煙席も禁煙席も備え付けられていた。中間車は座席車とパブ・ラウンジカーとなっていた。これらの車両はエレクトロライナーと呼ばれ、会社の中でも特別な存在となりデンプスターストリートとノースシカゴジャンクションの間を同社の素晴らしい軌道と路盤の上で平均時速90マイル(およそ時速144km)で駆け抜けた。1941年2月9日に営業運転を開始し、毎日1日5本シカゴとミルウォーキーの間で運用されていた。1963年の廃止までエレクトロライナーの運用は続けられた。エレクトロライナーはフィラデルフィア・サブアーバン・トランスポーテーション・カンパニー(現在の南東ペンシルベニア交通局、通称SEPTA)に売却され、「リバティーライナー」へと改名された。「リバティーライナー」は1979年ごろに引退した。
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