エルサレムの歴史とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > エルサレムの歴史の意味・解説 

エルサレムの歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/18 17:00 UTC 版)

再現された1世紀のエルサレム

この記事ではエルサレム歴史について解説する。エルサレムはダビデによる建都から3000年の歴史をもち、考古学的には5000年の歴史がある[1]

エルサレム史

紀元前30世紀頃、カナンと呼ばれた土地において古代セム系民族がオフェルの丘に集落を築いたのが起源とされる。1909年1911年発掘調査により、最初のエルサレムの住居地はギボンの泉のすぐ上のスロープに集中していたことが証明された[2]。エルサレムの最古の名称は中期王朝時代末期のエジプトの「呪詛文書」に見られる[3]

エルサレムは、ヘブライ王国が成立した紀元前1000年頃に、ユダヤ人による王国の首都となったのである(ダビデ王の軍勢がそれまで居住していたエブス人英語版の町を奪って首都とした)[4]。そのため「ダビデの町」とも呼ばれた[4]。その後、3代目のソロモン王によって王国は絶頂期を迎え、エルサレム神殿(第一神殿)が建設された。紀元前931年イスラエル王国が北のイスラエルと南のユダの2王国に分裂し、エルサレムはユダ王国の首都となった。しかし王国は紀元前597年新バビロニア王国の支配下に入り、新バビロニアの王ネブカドネザル2世によってエルサレムの住民約3000人がバビロンへ連行された。そして紀元前586年7月11日、バビロニアに征服されたユダ王国は完全に滅ぼされ、エルサレムと第一神殿が破壊され、多くのユダヤ人が捕囚されて住民達は強制移住させられた(バビロン捕囚[5]

紀元前539年に新バビロニアがアケメネス朝ペルシアに滅ぼされると、ペルシア王キュロス2世はユダヤ人の帰国を認め、エルサレムは再建された。紀元前515年にエルサレム神殿も再建(第二神殿)され、ユダヤ教祭司国家がつくられた。そして、アレクサンドロス大王、エジプトのプトレマイオス朝、シリアのセレウコス朝などにより支配されたのち、紀元前63年にローマのポンペイウスによって占領された。紀元前37年ヘロデ朝の創始者として知られるヘロデ大王が統治し、エホバの神殿を復興した。

691年、エルサレムの第一神殿及び第二神殿の敷地に、カリフアブドゥルマリクが「岩のドーム」を建造した[5]1099年には第1回十字軍がエルサレムを襲い、大虐殺を行なった。1947年国際連合が議決したパレスチナ分割案ではエルサレムは国連の管理下に置かれることとされ、第一次中東戦争休戦協定英語版西エルサレムをイスラエルが領有し、東エルサレムヨルダンが領有することになり、イスラエルは1950年に西エルサレムを首都とすることを宣言1967年第三次中東戦争以後は、旧市街を含め、全市がイスラエルに占領されている。

脚注

  1. ^ 関谷 2003, p. 1.
  2. ^ 関谷 2003, p. 8.
  3. ^ 関谷 2003, p. 9.
  4. ^ a b 笈川 2010, p. 10.
  5. ^ a b イスラエルの歴史 - 駐日イスラエル大使館

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  エルサレムの歴史のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「エルサレムの歴史」の関連用語

エルサレムの歴史のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



エルサレムの歴史のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのエルサレムの歴史 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS