エモナとガリポリの喪失
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 14:36 UTC 版)
「サヴォイア十字軍」の記事における「エモナとガリポリの喪失」の解説
アメデーオ6世は、エモナに庶長子アントニオとわずかな守備隊を残して帰国した。サヴォイア年代記、ジャン・セルヴィオン、ジャン・ドロンヴィル=カバレによれば、住民はサヴォイア駐屯軍を親切さを装いつつ待ち伏せがいるところまで導くことで欺き、その結果アントニオは捕えられた。アントニオはブルガリアで囚人として、死ぬまで惨めな状況に置かれたと思われる。しかしこの報告は、初期の資料では裏付けが取れてはいない。確かに言えることは、エモナがブルガリア人によって失われ、アメデーオ6世の十字軍以降のいかなる財政報告でもアントニオには言及されていないということである。 ガリポリの方は、いくたびかのオスマン帝国の襲撃にもかかわらず、キリスト教徒の側にあった。ヨハネス5世とその息子アンドロニコス4世による3年間の内戦 (en) の後に、アンドロニコス4世は自らへの支援の代償としてガリポリをオスマン帝国に譲渡した。こうしてガリポリは、十字軍による占領から10年経った1376年から翌年の冬にスルタン・ムラト1世によって占領された。
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