エバンス岬基地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 14:25 UTC 版)
テラノバは1911年1月4日にロス島沖に到着し、島の東端にあるケープ・クロージャー周辺に上陸が可能な場所を探った。その後西にあってディスカバリーでもニムロドでも上陸したことのあるマクマード・サウンドに進んだ。スコットは様々な越冬場所候補を検討した後で、ディスカバリー遠征のときに「スキュアリー」として記憶された岬を選んだ。1902年にハットポイントの基地とした所から北に約15マイル (24 km) だった。スコットはその副隊長からエバンス岬と改名したその場所が、短い南極の夏で氷が無いことを期待し、船が行き来できることを期待した。海が南から凍ってくるとハットポイントやバリアに向けて氷の上を行くことができるはずだった。エバンス岬では、陸上部隊が下船し、ポニー、犬、3台のモーター駆動橇を降ろし(そのうち1台は荷卸し中に失われた)、隊の物資の多くも陸揚げした。ポニーが船から陸に物資を運ぶ時に、スコットは「その強さに驚かされた」プレファブの小屋は50フィートx25フィート (15 m x 7.7 m) あり、1月18日に建設され、住居とされた。
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