インディ復帰に至る経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 14:45 UTC 版)
「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の記事における「インディ復帰に至る経緯」の解説
マリオ・イリエン(2006年) ロジャー・ペンスキー(2019年) 1991年頃、メルセデス・ベンツはF1参戦を目指すにあたってイルモアと交渉を行っていた(詳細は「#F1復帰に至る経緯」を参照)。当時、イルモアの株式は創業者のマリオ・イリエン(英語版)とポール・モーガン(英語版)、それにロジャー・ペンスキーとゼネラルモーターズ(GM)を加えた四者で折半されており、それぞれが25%ずつの株式を保有していた。ロジャー・ペンスキーは北米で多角的に事業展開している人物で、そのひとつであるトラックリース会社はダイムラー・ベンツの大口取引先でもあったことから、メルセデス・ベンツ社とペンスキーは自然と接近することになった。 その頃にイルモアが作っていたCART用のエンジンはシボレーのバッジを付け、ロジャー・ペンスキーが経営するレーシングチームであるチーム・ペンスキーなどに供給されていた。イルモアとシボレーの契約は1993年秋までというものであり、両者ともにその契約をあまり積極的には延長しようと考えていなかったため、メルセデス・ベンツ社はGMと数か月に渡って交渉を行い、その結果、GMは手を引くこととなった。イルモアは新たにメルセデス・ベンツ社と契約を結び、1995年からはイルモアのCART用エンジンに「メルセデス・ベンツ」のバッジを付けることと、初年度はチーム・ペンスキーに独占かつ無償でそのエンジンを供給することが決定した。
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