イドマヤとサマリアを征服
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/18 05:17 UTC 版)
「ヨハネ・ヒルカノス1世」の記事における「イドマヤとサマリアを征服」の解説
ヒルカノスは兵を率いて北上し、メダバ、シェケム、ゲリジム山を攻略した。紀元前128年、彼はユダヤ教においてサマリア人とユダヤ人の宗教的対立を解決するため、ゲリジム山にあったサマリア人の神殿を破壊している(それでもサマリア人はその廃墟で礼拝を続けた)。この行為は結局なんの解決にもならず、それどころかユダヤ人とサマリア人の憎しみを増幅させる結果になった。 またイドマヤのアドラ、マリサを制圧し、住民をユダヤ教に改宗させている。それまで武力でユダヤ教を強制した例はなかったため、これは驚くべき行為であった。イドマヤ人(エドム人)はこれ以降、ユダヤ人に同化されていく。 紀元前110年、ヒルカノスは息子アリストブロス1世とアンティゴノスに命じてサマリア遠征を行う。サマリア人はシリアのアンティオコス9世キュジケノスに救援を要請したが、その部下カリマンドロスは戦死し、エピクラテスは賄賂に応じてスキュトポリス周辺を売り渡した。紀元前109年、サマリアを制圧すると、ヒルカノスは市街を徹底的に破壊し、山中の急流を流し込んで町の痕跡を洗い流した。ユダヤ人とその同盟者マリサ人に対し、サマリア人が長年敵対関係にあったことが、ヒルカノスの憎悪の理由であったという。
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