イタリア空軍に入隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/01/18 08:34 UTC 版)
「アドリアーノ・ヴィスコンティ」の記事における「イタリア空軍に入隊」の解説
1939年に士官学校を卒業して少尉に任官し、トブルクに駐在する地上攻撃部隊の第50航空団第12航空群第159飛行隊に配属となった。その後、軍規違反を起こし、植民地防衛第2航空群第23飛行隊に左遷された。しかし、同隊における戦闘でヴィスコンティが操縦するカプロニCa.309偵察機がイギリス第33飛行隊のグラディエーター3機と遭遇、襲撃された際、巧みな操縦技術でかわして偵察員ともども難を逃れるという出来事があった。この行動が評価され、元の部隊への復帰が許された上、青銅勲章も受章した。 第159飛行隊に復帰すると、ブレダBa.65に乗り組んで出撃、砂漠のイギリス軍機甲部隊を相手に戦闘を重ねた。しかし、Ba.65は被弾に弱いため損害が大きくなるという欠点があり、1941年1月に第50航空団は解隊された。
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