イタリアとの戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/26 06:37 UTC 版)
1911年に伊土戦争が勃発し、イタリア王国がリビアに攻め込むと、サヌーシー教団はオスマン軍に協力して内陸部に逃れゲリラ戦を行い、イタリア軍を苦しめた。1912年に和平が結ばれ、キレナイカはイタリア領リビアとなった。 第一次世界大戦(北アフリカ戦線)中、サヌーシー教団はトルコの支援の下で抵抗を続け(サヌーシー戦争(英語版))、イタリアと戦った。1920年に一時停戦が成立し、サヌーシー教団の指導者ムハンマド・イドリースをキレナイカの支配者と認めたものの、1922年にムッソリーニがイタリアの政権を握るとともに再び戦闘が勃発し、イドリースはエジプトに逃れた。しかしサヌーシー教団のオマル・ムフタールはなおも内陸部で抵抗を継続し、1931年までイタリア軍と戦い続けたが、同年捕らえられ処刑された。 その後もサヌーシー教団はエジプトのイドリースの元でイタリアと対立を続け、第二次世界大戦(北アフリカ戦線)においては連合国側に参加しイタリアと戦った。
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